ティーアラウンドのスタッフを紹介します!
【聞き手:T太郎】
生産管理部 工事課 係長
張 佳飛[Cho Keihi]さんにインタビュー①(全3回)
張:よろしくお願いします!
以下 T :張さんは中国のご出身ですね。
日本語がとても上手ですが、いつどうやって習得されたんですか?
張:中国の西安市(かつての長安)にいた頃に勉強を始めて、
日本へ来てから新宿の日本語学校に1年ほど通いました。
T:日本へ来て初めてのお住まいはどちらに?
張:新大久保です、学校の寮がありまして。その後も
何度か引っ越して、新大久保には長く暮らしました。
T:『西安』という地名が出ましたが、ふるさとですか?
張:いえ出身は、内モンゴル自治区の包頭(パオトウ)という町です。
T:内モンゴル自治区…
お相撲さんの出身に多い「モンゴル」とは違う・・・?
張:その「モンゴル国」はお隣の国です。
国境を接して、中国側に広がっているのが内モンゴル自治区。
T:へ~~、知識不足ですみません…
張:いえいえ。
内モンゴル自治区の公用語は中国語で、
現地の言葉では「ナイモンゴオズチュチュ」と言います。
「ズチュチュ」が「自治区」です。
T:ズチュチュ、なるほど。
張:私の祖父は中国の、もっと南部の、浙江省の出身ですが、
北部地域の開発に参加し、そこに根を下ろしたようです。
T:中国に暮らしていて、
「日本」という国にはどんな印象を持っていましたか?
張:特に先入観はなくて、単純に「隣の国だな」と思っていました。
よく知るきっかけは、アニメだったかなと思います。
日本のアニメはいろいろ放映されてましたから。
:へえ! うれしいな、例えばどんな作品?
張:たくさんありますよ、『ドラえもん』『ドラゴンボール』『スラムダンク』
それから『タッチ』も好きでした。
T:タッチ! お~~ キャラクターの名前はどうなんだろう、
南ちゃんは「ミナミチャン」?
張:「チェンツォンナン」です。「浅倉南」を中国読みすると
「チェンツォンナン」というんです。
漢字三文字の名前は中国人も親しみやすく、人気でした。
上杉達也は「シャンシャンダァイエ」上杉和也は「シャンシャンハッイエ」、
漢字四文字以上の名前は「日本人」という感じがしますね
T:そうなんですね~
張:日本に来てから『スラムダンク』の、有名な踏切にも行きました(笑)
T:あ、鎌倉の江ノ電の? 「聖地」ですね
:そうです(笑)
T:張さんが日本に来る「きっかけ」はなんだったんですか?
張:私は内モンゴルで生まれ育って、
南へ800キロ以上離れた大都市 西安市の大学に進みました。
その頃には、なんとなく、
いつか外国で働いてみたいな…とは思っていたんです。
T:大学では、どんな勉強を?
張:はい、専門は建築設計で、
卒業後は西安の「建築設計院」に就職しました。
環境デザインが主で、西安で開かれた博覧会のパビリオン設計なども担当しました
T:都市計画など 大きな仕事を任されてたんですね
張:仕事は楽しかったです、やりがいがあって。
でもとにかく忙しかった。あまりに忙しいので、このままでは良くないな
と考え始めて…、同時に
長年抱いていた「外国でチャレンジしたい」という気持ちが
より強くなっていきました
T:たくさんある外国の中から、日本を選んだ理由は?
張:そうですね、日本の文化に興味があったのと、
それとやっぱり建築ですね。世界的に見ても日本の建築は水準が高いし、
地震国ということもあり、災害に強い建築のノウハウが詰まっている
ということにも惹かれて
T:その頃から、日本語を?
張:そうです、西安に留学に来ていた「松井さん」という日本人に、
当時付き合っていた彼女と二人で、日本語を教えてもらっていました。
基礎的な会話くらいはできるようになりまして、
そして、彼女と相談して、彼女も賛成してくれたので
一緒に日本に行くことを決めたんです。
T:その彼女って…
張:今の、私の妻です。
T:わ~、日本にはお二人でいらしたんですね!
張:そうなんです(笑)家族にはかなり引き止められましたが、
私たちの決意を理解してくれて、
最後は送り出してくれました。
T:日本にやって来た張さんの…
その後のお話・・・
もう少し聞いてみましょう!